癌を患う父の見守り日記

2018年1月末、癌診断を受けた父を見守る娘の記録です。

11時、病院との相談予約が入っていた。
そこで入院後の父と初対面を果たすことになったが、父の様子が違和感しかなく、困惑している。

時系列で順に書いてみようと思う。

11時少し前、病院の正面玄関で姉、叔母、叔父と落ち合う。
受付で11時より面談の予約が入っている旨伝え、担当者を待つ。

この面談では、父の退院後のサポートをどのように進めていけばいいのか、病院の補助はどのように受けられるのか、在宅看護を視野に入れた相談をすることになっていた。

対応してくれたのは父の担当看護師、訪問看護ステーションの局長、ソーシャルワーカーの3名。

看護師からは現時点での父の食事の量や点滴の量、どのように過ごしているかの近況的なことを聞いた。

食事の量は2~4割程度でその時によってムラがあるが、まったく食べられないわけではないらしい。
ただ、食事量が充分というわけではないため、点滴は1日4本入れている。1~2本に減らすことができた段階で退院の目途がつくことになる。
また、痛み止めのためモルヒネ40mgを1日2回服用(この投与量に関してははっきりと聞かなかったため、看護師と局長が話していた内容から推測)。
頓服を飲まなくてもすむ程度に痛みの管理は安定してきた。
また、本人は身の回りのことも自分ででき、歩くこともできる。

局長からは介護保険で受けられるサービスや在宅で実際どのような看護が必要かを聞けた。

私自身は、父を在宅で看ることにした場合何が一番不安だったのかというと、素人にどこまでを求められるのか、何か緊急的なことが起こった場合どの程度病院の協力を得られるのかの2点である。
退院後も点滴が必須となるが、24時間繋ぎっぱなしになることは現時点では考えにくく、昼間だけになるか、夜間になるかは生活スタイルに合わせて決定してくれるとのこと。
また、今は食べ物に関して制限をする時期ではなく、とにかく好きなもの、食欲を感じるものを食べてよい。
在宅看護専用ダイヤルがあり、24時間繋がること、電話ではらちがあかないほどであった場合は駆けつけてくれること。
介護認定を受けることにより、ある程度市からの金銭的な補助を受けながら介護サービスを利用できるため(現時点の父の元気な状態では「要介護」どころか「要支援」がもらえるかどうかというところではあるが)今後悪くなっていくことを考えると今取れるものは取っておいたほうが後々役に立つであろうということで認定を受けることに。

在宅ではどうにもならない(とサポートする私たち側が考える)状況になった場合は、再度入院し、病院で看取りまですることも可能。

このような確認ができ、当面のサポートについては姉や兄、叔母叔父と協力しながらなんとかやっていけるかな、と考えていた。

話がおおかたまとまったところで、父を呼んできてくれることになり、入院後の初対面となった。

癌は、父の左肺の裏側に位置し、1本の肋骨を侵食するように大きな白い影を落としていた。

今後考えられるのは、
①肺への侵出。呼吸困難への近道。
②背骨への侵出。神経を侵すことによりその部位の麻痺の可能性。
③背中表面への侵出。癌の出来ている場所からすると、このパターンはまずないとのこと。

抗癌剤は体力的に×、放射線は肺へのダメージが大きく場所的に×。成す術なし。

母のパターンを嫌でも回想することになった。

母のときと決定的に違うのが、現在の世間の状況。
新型コロナウイルス(covid-19)という感染症が世界中を震撼させている真っ最中である。
2019年12月中国武漢で発生したとされ、風邪様の症状であるが、風邪よりもタチが悪く悪化した場合は呼吸器官に損傷が起こり苦しんで死すことになる。
指定感染症となっており、防護服に身を包んだ医師や看護師らに囲まれ、家族や世間からは隔離される。
回復するか死ぬまで親しい誰にも会えない孤独の病だ。
医療関係者は日々増え続ける患者の対応に追われ、世界中で医療崩壊が叫ばれる。

道行く人の形相も様変わりし、皆マスク着用が必須。
消毒薬を持ち歩き、マスクをつけない「輩」がいれば糾弾されることになる。
緊急事態宣言と称され20時以降飲食店は閉店し、会食、飲み会はリモート(オンライン)。
観光地はどこも閑古鳥だ。

そんな状況であるゆえ、病院の入院患者への面会が厳しく制限されている。
余命宣告を告げられた私たち家族も例外ではない。
おしっこが出ないと激痛を訴えたあの日、深夜病院に連れて行った主人を最後に家族の誰も父には会えず仕舞いである。

つまり、入院している限り、死を迎えるそのときまで、父とは面会がままならない状態なのだ。
そもそも、父が入院する市民病院には終末期医療の体制がない。
ホスピス機能を持つ母が最期を迎えた近隣の救急指定病院は満床。

在宅医療で看取りをする。もはやこの一択しかないのではないか。

しかし、私にできるのであろうか。
仕事は、家庭は、日々状態が悪くなるであろう父の看護、下の世話。
最期を迎えるそのとき、医師も看護師もいない自宅で、冷静でいられるのか。

明日(1/26)病院に併設される在宅医療支援センターへの相談を予定している。
私、姉、叔母、叔父の大所帯で訪問。
父が見たら大事に思うに違いない。


緊急入院した翌日、主治医の招集時間は12時。
おそらく、外来が滞りなく終わった場合の時間だったのだろう。
主治医の専門である外科の前の待合にはまだ診察を待っている様子の患者がおり、私たちもなかなか呼ばれない。
私、姉、叔母の3人でお互いの近況について語りながら待つこと約1時間。
やっと主治医と顔を合わせたのは13時になってからであった。

しかし、肝心の父がいない。
今回は別々に説明しますとのこと。

まずは、現在の父の全身状態について。
生活の質は著しく低下しており、コロナ禍で外出が危ぶまれる状況も加わり、フレイルであることは確実。
散々それを警告してきたにも関わらず、本人に改善の意思が見られなかったことを前提とした話であった。

身体の抵抗力、免疫力が皆無に等しい中での癌の転移。
前回の定期健診から今回までの短期間での悪化。
癌ができた場所、体力面どちらをみても、抗癌剤治療・外科的治療は不可能。
よって、今後は緩和ケアを中心とした癌末期の終末期医療を受けるのみとなる。

もちろん医師からの呼び出しに良いパターンなんぞないであろう。
しかし、思った以上に、いや、はるかに予想を超えた告知であった。

「3か月から6か月。1年後同じように過ごせているということはまずないでしょう。」

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